2005年の『読んだ』2005年は新しく2つのシリーズを読み始めました。「ベルガリアード物語」と「十二国記」がそれですが、どちらも面白く続きが楽しみです。
感想を書いたついでに内容が気に入った内容であったかどうか、また、英語の本の場合は、英語の難易度を併記してあります。内容評価は、◎=「たいへんおもしろかった」、○=「なかなかおもしろかった」、●=「まあまあおもしろかった」、△=「もうちょっとおもしろくてもよかったかもしれない」、×=「私には、この本のおもしろさはわからなかった」といった5段階評価。英語の難易度は、独断と偏見で、A=「カンタン」、B=「普通」、C=「手強い」の3段階にしてあります。ただし、これは、表現(文法)の難易度であり、単語に日常会話ではあまり使われない単語が多く出てくる場合は、+がついています。これは、表現がカンタンでも、特殊な分野(SFなど)では、あまり使われない単語や造語などが多くでてくるためです。
あらすじ: ベルガリアードシリーズ第3作。ニシアから脱出した一行は死者の亡霊しかいない国を通り、敵の追撃も逃れてベルガラスとポルガラの住んでいた谷にやってきます。そこでガリオンはアルダー神に会い、自分の役目の重大さに気がつき、力の制御を学ぶことにします。そこからさらに地下の国ウルゴを経て、新しい仲間レルグが加わります。岩を通り抜ける力を持ったレルグの参加と引き換えにセネドラが一行からはずれ、いよいよ敵の本拠地に乗り込むことになります。 新キャラクターのレルグが人間離れしていておもしろいです。シルクの毒舌もダーニクの実直さも健在ですが、この巻ではガリオンの力が目に見えて強くなっていくのがわかります。また、ガリオンとセネドラの互いに惹かれながらもどうしていいのかわからない、その不器用な関係もおもしろいです。 意志によって敵の目を惑わす、そういう「魔術」を使うときの感覚の描写がなかなかおもしろかったです。 「図南の翼」 あらすじ: 「十二国記」シリーズ・恭国のお話。この世界では王が亡くなると、新しい王は蓬山に住む神獣・麒麟が選びます。しかし、恭国ではもう27年も王不在のまま国が荒れていました。疲れ切って諦めた大人たちを尻目に、わずか12歳の少女・珠晶(しゅしょう)が単身蓬山に行き王になることを目指します。珠晶は豪商の娘で、何不自由なく育てられましたが、まわりの悲惨な状況を見過ごすことができず、家を飛び出して蓬山に行きます。途中不思議な青年・利公や、蓬山のある黄海をよく知る頑丘と出会い、彼等の助けを借りて黄海を渡ることになります。黄海は人の住むところではなく、妖魔が住まう危険なところですが、珠晶は泣き言も言わず渡ってゆきます。同じように蓬山を目指す大人たちとその従者たち、それを案内する剛氏たち、それぞれの思惑が絡み合う中、珠晶はだんだんと人の上に立つということについて学んでゆきます。 珠晶の白黒はっきりさせたがる性格は本当に若さそのもので、それを海千山千の頑丘や利公が「世の中そんなに単純ではない」ということを教えてゆく、いわば珠晶の成長物語なわけですが、彼女の成長の素となる黄海での様々な出来事が興味深いです。それぞれ勝手な思惑のある集団がしかし集団にならざるを得ない極限状態。離散してしまったら、たちまち妖魔の餌食となってしまいます。誰かが襲われたら、自分ではなかったことに感謝してひたすら逃げる。この話で語られる災難は妖魔に襲われて殺されるという極端な例ですが、これは日常生活にも当てはまる比喩です。 珠晶は、終わりのほうで「自分が王になれるとは思っていなかった。ただ何もせずに周りの惨状を見ていられなかった。自分がいかに裕福でも周りが貧しければ、嬉しくもなんともない。」というようなことを言います。これを読んで、しばらく前にイスラエルで難民の住居を強制撤去するブルドーザーの前に立ちはだかり轢かれて亡くなった一人のアメリカ人女性を思い出しました。女性と言うにはまだ若すぎるくらいの年齢だった彼女もまた、行動の人でした。イスラエルの難民の現状を書き綴ってアメリカの両親へ送った電子メールを新聞で読みながら、明晰で力強い若さがあまりにあっけなく逝ってしまったことにショックを受けました。このお話に出てくる珠晶はこのアメリカ人女性のような人たちを象徴しているように思います。 「東の海神 西の滄海」 あらすじ: 「十二国記」シリーズ・雁国(えんこく)の麒麟・六太と延王・尚隆の始まりの頃を描いています。このシリーズ最初の「月の影 影の海」や「風の海 迷宮の岸」にも登場する延王は、雁国を長く治めていることで知られていますが、その昔は、十二国では「蓬莱」と呼ばれる(つまり日本)の小国の領主でした。戦国の世、自分を頼っていた民を守りきれなかった彼は「国が欲しければおまえにやる。」という雁国の麒麟・六太に二度目のチャンスを与えられます。民あってこその王、という延王・尚隆の真の王の姿を、幼い頃に戦乱の中親に捨てられなければならなかった六太は、それでも信用できずにいます。そこへ、同じく親に見捨てられ妖魔に育てられた更夜がからんできて、六太はますます国とは何なのか、それを治める王とはどういうものなのか考えさせられてしまうのでした。 国を治める王とは、どのような立場に立っているのか、ということを介して、人を信頼する・信頼されるというのはどういうことなのか、ということを問うている物語です。大局を考えずに只一人の人を盲目的に信頼する更夜と、信頼できる相手を前にしながら、信頼できずにいる六太は対照的ですが、どちらを見ても、人との関わり方に深く根ざした問題が提示されているように思います。 王というもの、権力というものが信用できない六太を見ていると、権力ばかりふりかざして責任のほうは、おざなりにしている権力者を思います。国としての秩序を保つには、誰かが上に立って指揮を取っていかなくてはいけない。そして、その権限には責任が伴うべきです。そういうことが理解できているこの物語の王、尚隆のような権力者は稀でしょう。しかし、残念ながら、遠くから見ていると権力者はどれも同じに見えます。 「風の海 迷宮の岸 (下)」 あらすじ: 麒麟として一人前ではない泰麒ですが、既に次の王を選ばなければならない戴国からは続々と蓬山に我こそはと思う者たちが登山してきます。王には王気があると教えられたもののよくわからなかった泰麒は、其の内の2人の人と親しくなります。しかし、その2人ともに「王気」を見出せず悲しくなる泰麒でした。とうとう2人のうち1人を王に選んでしまい、自分に罰が下されるのではないかと怯える泰麒。その心配とは裏腹に王即位の準備は着々と進められるのでした。 本当は王でない人を王に選んでしまったのではないか。寂しさのあまり優しくしてくれた人を選んでしまっただけではないのか。そんな悩みを抱える麒麟を助ける周りの大人たちが本当に大人でまぶしくなります。 これは幼い麒麟の成長物語ですが、それをサポートする大人たち(麒麟や王たち)がとても辛抱強く見守っていくのです。子育てとはそういうもの、成長を見守るとはそういうもの、わかってはいるつもりでも、それを実行するのは難しいですね。 「風の海 迷宮の岸 (上)」 あらすじ: 十二国記2作目。麒麟は蓬山に生る金の実から生まれる神獣で、同じ樹の根に育つ女妖によって育てられます。しかし戴国の麒麟になるはずだった実は蝕によって蓬莱に流され、「人」として10年育ちました。ようやく蓬山に連れ戻されたものの、どうやって麒麟に転変するか、どのように妖魔を祈伏し、使役に下すことができるのか、麒麟として必要なことが何もわからないのでした。そんな泰麒は先輩の麒麟・景麒に会って彼を慕うようになります。 蝕に流されて日本で人間として生まれた「麒麟」が戻ってきてこの世界で自分の役目を果たして行こうとするのですが、その過程でいろいろな人に出会う、その出会いが全作同様素敵です。 いったいどうしたらちゃんとした麒麟になれるのか。自分を導いてくれる人のない孤独。その幼い彼を導きたくても導き方を知らない年上の麒麟もまた孤独です。孤独な魂同士が惹かれあっていく様子は、ほほえましくもどこか悲しくなるのでした。 「月の影 影の海 (下)」 あらすじ: クラスメイトの中で野垂れ死にするのは自分だけだろうと半ば自嘲的に死を覚悟した陽子でしたが、そこに楽俊という助けがあらわれます。お人よしの楽俊とともに、海客が歓迎されているという雁国を目指して旅立つ陽子。道々楽俊にこの世界のことを教えてもらい、遂には自分が只の海客ではないことを知ります。 陽子を死の淵から拾い上げてくれた楽俊が無条件にいいです。こんな人に出会えた陽子は幸せです。 この世界では、子供は木になった卵果という実から生まれてきます。夫婦が卵果のなる木の枝に帯を結び、願うと親になる資格のある夫婦の枝に実がなる。これを読みながら、あまり深く考えずに子供を産んだ自分のことをいろいろ思ってしまいました。 「月の影 影の海 (上)」 あらすじ: NHKテレビのアニメにもなったという「十二国記」の最初のお話。ごく普通の高校生・陽子は、ある日突然学校に現れた「ケイキ」という若い男に異世界に連れてこられます。それは陽子を守るためだと言われたのですが、着いてすぐにはぐれてしまい、何もわからない世界で陽子は一人きりになります。頼りになるのは「ケイキ」に渡された不思議な力を持つ剣と戦う技だけ。何度も人に裏切られ、妖魔に襲われ、其の度に切り抜けましたが、夜な夜な現れる蒼猿には、「死んだほうがマシだよぉ。」とそそのかされるし、もとにいた世界に戻る術も見つかりません。 襲ってはこないけれどつきまとう蒼猿が恐いです。蒼猿は陽子の負の心を表現しているようなのです。これは鬱病はたまた分裂病のようなものです。一番恐いのは自分。こういうテーマはゲド戦記にもありました。現代社会の中でも蒼猿は大きな問題になっていると思います。 久しぶりに漢字のたくさん出てくる本を読み、おもしろくて一気に最後まで読んでしまいました。泣けるところがいっぱいありました。誰も信用できなくなった陽子が絶望してそれでも自分の命が惜しいと思うところなどは共感してしまったり。この先も「十二国記」が楽しみです。 あらすじ: ベルガリアードシリーズ第2作。ファルドアの農場を出てからバラクやシルクを加えた一行はさらに騎士中の騎士・マンドラレンとトルネドラの皇女・セネドラを加えて奪われた珠を追って南へとやってきます。ガリオンは次第に自分の魔術の力に目覚め、それを制御する方法を学ばずに回りを困らせます。珠を奪ったゼダーの他にもニシア国の王女からも妨害が入り、一行の珠奪回の旅はすんなりとは行かないのでした。 先の予測がしやすい話なのに引き込まれてしまうのは、その予測を大きく裏切らず、しかも意外なことも起こるという話の展開が良いのでしょう。 ガリオンが少年期の終わりにさしかかって、自分の能力や自分の置かれた立場に少しずつ気が着いてゆく過程なんですが、それにあれこれ抵抗してもがくさまがなんとももどかしく、しかし共感できるところでもあります。我が儘一杯のお姫様との出逢いの場面は、読んでいてガリオンと一緒になって怒ってしまったり。このお姫様とガリオンが後に結ばれるであろうことは充分予測できるのですが、当の二人は惹かれあっているにもかかわらず、喧嘩の毎日。それがまた他愛ないようでいておかしかったりします。 あらすじ: ベルガリアードシリーズ第1作。ファルドアの農場でポル叔母さんと暮らしていたガリオンが農場に時々やってきていたウルフ爺さん、鍛冶屋のダーニク、ポル叔母さんと共に旅に出ることになります。その旅の意味も何もわからなかったガリオンですが、次第にポル叔母さんとウルフ爺さんが只の人ではなく、魔術師だということを知り、さらには、自分がその血縁であることを知ります。 長い長いお話にふさわしくカラフルな登場人物が次々に登場し、「これからどうなるの?」の舞台設定がなされていきます。 主人公の幼年期から少年期にかけての話で、普通の何もしらない少年(=読者)がだんだんとこの世界の戦いに巻き込まれてゆく(=物語にのめりこんでゆく)ようになってます。魔法使いベルガラスをはじめ、登場人物がなかなか人間臭くおもしろいです。特にベルガラスの娘ポルガラの毒舌はなかなかよいです。一緒に旅をする「旅の仲間」も読者がその誰かに共感を持てるように書かれているように思います。 話の筋そのものよりも、あちこちに散りばめられた気の利いた台詞に惹かれました。ちょっとした欠点というかクセのある人物が多く、読みながら、「あー、私にもそんなところがあるよ~。」と落ち込みながらもその人物がそれなりに受け入れられているのを見るとほっとしたり。 このシリーズだけで5巻、それに続くMalloreonも5冊あり、他にも外伝のようなものが出ているそうなので、ベルガリアード世界にのめり込んでしまったら、ハリー・ポッターよりも長い道のりが待っていることになります。 あらすじ: ホグワーツに新しい先生・スラグホーン教授がやってきます。ハリーはダンブルドアからの個人授業も含め、再び学校生活に戻るのですが、ダンブルドアから重要だと言われたスラグホーン教授の本当の記憶を手に入れる作業は困難を極めます。ハリーはダンブルドアに伴ってヴォルダモートの過去をたずね、ヴォルダモート打倒のヒントを探ります。一方ドラコ・マルフォイはハリーたちを陥れるために何かたくらんでいるようなのでした。ダンブルドアとハリーはヴォルダモートの隠した重要なものを探し当て、それを手に入れようとするのですが、徒労に終わります。その時まさにホグワーツはデス・イーターの襲撃を受け、不死鳥の騎士団とデス・イーターたちの壮絶な戦いが学校内で繰り広げられます。 ハリーポッターシリーズ最新作、6巻目です。このシリーズだけは発売と同時に買って一気に読みます。大好きです。ますますのめりこんでます。 前作に比べて話の構成などがすっきりしていると思います。最初のほうでのスネイプやマルフォイの言動は後々のホグワーツ襲撃の部分に繋がり、それが真ん中をサンドイッチにしている形になりますが、それをさらにハリーが登場する章とお葬式の章がサンドイッチしています。子供たちは読後ダンブルドアを殺したスネイプを超悪者と決め付けましたが、私はスネイプはダンブルドアを殺したのにももっと深い理由があると思います。たとえば、あの時点で助からないと思ったダンブルドアにとどめをさして、ヴォルダモートにもっと近いスパイとなり切るとか。ダンブルドアの命と引き換えに手に入れたロケットにはヴォルダモートの命のかけらはなく、先に奪った何者かのイニシャルがあるのみ…。この期に及んでさらに新たな謎の人物を登場させるとは驚きです。Rで始まりBで終わる、これはシリウスの弟レグルスでは?彼の名前が初めのほうで出てきます。カルカロフの遺体が見つかったところですが、「デス・イーターを裏切った者」として数日生き延びた、とあります。この数日の間にレグルスはこのロケットの中身を取り出したのではないでしょうか?それにしても、ハリーは来年ホグワーツに戻るのでしょうか?様々な謎を残して次に続く。あー、次も待ち遠しいです。其の前に4巻の映画化ですが。 The Da Vinci Code あらすじ: アメリカの記号学者がルーブル美術館長の殺人に関与したとして手配され、その真実を探るために殺された館長の残した暗号を辿って館長の孫娘と共にフランス・イギリスを逃げ回るというお話です。何故館長は殺されたのか、暗号を通して彼の伝えたかったことは何か。次々と記号を読み解いて行くミステリーです。 2004年のベスト・セラー。一年近く遅れて読んでいるところが私ですが、とにかく読みやすいし、適当に知的好奇心を満たしてくれる良いエンタテイメント本だと思います。 ミステリーとしてはそれほど際立って出来がいいとは思いませんでしたが、各章が短く、しかも章の終わり方が「次はどうなるの!?」的なものばかりだったので、とにかくすいすい読めます。話に出てくる実在の場所の描写がなかなか素敵で、是非行ってみたいと思わせるところがあります。特にルーブルと最後のほうに出てくる教会はおもしろそうです。また、この本ではカトリック教会がある意味悪者なんですが、大きな宗教組織の矛盾をわかりやすくもっともらしく書いてあるところも受けた理由かな、とも思いました。 Castles トールキン作品のイラストで世界的に有名になったアーティストの作品。城をテーマに実在の城から伝説の城まで多くの城が描かれているファンタジーファンには嬉しい一冊です。 アラン・リーの名前を知ったのは、ピーター・ジャクソンのロード・オブ・ザ・リングが世に出てからなのですが、この本の前書きにアラン・リーの手がけた作品がいくつか載っていて、その中に Faeries というのがあり、遠い昔に読んで大好きだったFaeriesのイラストを描いた人だったというのを改めて知りました。図書館で何度も借りた本だっただけに、今またアラン・リーの作品に触れて感動している自分がなんだかおかしくなってしまったのでした。 この Castles は、アーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説などからの城もあれば、ポーの「アッシャー家の崩壊」、トールキンの「指輪物語」、はては「ゴーメンガースト」の城まで含まれていて、ファンタジーファンにはたまらない一冊です。一見関係ないようなさまざまなお話が「城」というテーマで結び付けられ、並んで見せられると、実はどれも深い関係にあるような気がしてくるのです。絵を見るだけでもため息の出る一冊です。 Last Orders イギリス労働階級の男たちの荒っぽさの中に繊細な部分がちらっと覗いていることにはっと驚かされる、そんなお話でした。 映画化もされたこのお話。まだ映画は見ていないのですが、読んでみて、これは映画化が難しかろうと思いました。マイケル・ケインがいい味出しているそうです。是非見なくてはいけません。典型的なイギリス労働階級の男たち4人組のお話で、それぞれの視点から過去を回想する形になっていますが、主な語り手はレイという小柄な男性です。私の知り合いに名前も同じくレイというイギリス人がいて、その人もエジプトで兵役についていました。さらにコックニー英語を話すばりばりの労働階級出身。こういう知り合いがいるからこそ、この本がとても身近に感じられたのかも知れません。表面的にはとても粗野で男くさい話なのですが、時折この男たちの中に表ざたにされない詩的な内面が描かれていて、見掛けや話し方で判断されがちな人々の内面が本当はとても複雑で普遍的なのだということに改めて思い至ります。遺灰を散布しに行く旅を、切なく悲しく、しかし、ユーモアたっぷりに描いていて、読み終えてから自分が泣いているのか笑っているのかわからなくなってしまいました。 ハリー・ポッターシリーズの参考書。本編読んでいれば読む必要ないのでしょうが、関係ウェブサイトやイギリス観光の際のお勧めスポットなどはコピーする価値ありかもしれません。映画と本との違いもまとめてありました。 |