2006年の『読んだ』今年は去年読み始めた「ベルガリアード物語」とそれにに続くシリーズ、さらには、今まで買っておいて積読だけだった本をなるべく読みたいと思っています。いっぱいあって終わらないだろうな、とは思うのですが。本を見ると買いたくなってしまうのですが、なるべく去年同様図書館を利用させていただきたいと思ってます。
感想を書いたついでに内容が気に入った内容であったかどうか、また、英語の本の場合は、英語の難易度を併記してあります。内容評価は、◎=「たいへんおもしろかった」、○=「なかなかおもしろかった」、●=「まあまあおもしろかった」、△=「もうちょっとおもしろくてもよかったかもしれない」、×=「私には、この本のおもしろさはわからなかった」といった5段階評価。英語の難易度は、独断と偏見で、A=「カンタン」、B=「普通」、C=「手強い」の3段階にしてあります。ただし、これは、表現(文法)の難易度であり、単語に日常会話ではあまり使われない単語が多く出てくる場合は、+がついています。これは、表現がカンタンでも、特殊な分野(SFなど)では、あまり使われない単語や造語などが多くでてくるためです。
Eragon あらすじ: アルゲイシア帝国の辺境に住むエラゴンは叔父と従兄と3人で暮らしています。帝国は皇帝の圧政の元、苦しむ人々であふれています。家計の足しにと山で狩りをするエラゴンが、ある狩りの夜不思議な石を見つけます。家に持ち帰ったその石は、後にドラゴンの卵だったことが判明します。そして、エラゴンはその卵から孵ったサフィラに選ばれたドラゴン・ライダーとして旅立ち、帝国と敵対することになります。 出だしがちょっとスローで、とっつき難く、何度か中断したのですが、エラゴンが旅立つあたりからがぜんおもしろくなりました。このクリストファー・パオリニという作家は14歳のときにこの話を書きはじめたそうで、とても中学生が考えたお話とは思えないほど本当に良く出来ている話です。内容はほぼ伝統的なファンタジーのきまりを守っていると言えます。少年の成長物語。アーサー王伝説にも通じる一見庶民の出の主人公が「選ばれて」英雄となる。 しかし、ここの話で一風変っているとも言えるのが、主人公とドラゴンの心の交流です。ドラゴンはそのライダーとコミュニケーションすることができる。ドラゴンの叡智はいったいどこから来たのか、それは少しも明らかではありませんが、生まれて間もないというのに、エラゴンの乗るドラゴン「サフィラ」はかなり思慮深くエラゴンのよきガイドとなっています。 エラゴンと共に旅するブロムという人物もとても魅力的です。ただの村の語り部だと思っていたブロムには実はびっくりするような過去があり、16歳にしてはかなり大人びているエラゴンもブロムの前ではまだまだひよっこ。この2人の師弟関係の展開もおもしろいです。さらに、後半登場する謎の青年マータグも影があるゆえに読者を惹きつけてくれます。 この作品は3部作の1作目で、これまでに2作出版されています。これからの2冊がまた楽しみです。 あらすじ: ザンドラマス追ってマロリオンへとやって来たガリオン一行ですが、マロリオンの皇帝ザーカスに捕らわれの身となってしまいます。なんとかしてザンドラマスに追いつき、息子を取り戻したいと願うガリオンですが、ザーカスは一行を手放そうとしません。そうこうする内一行の滞在している町で奇妙な伝染病が大流行し次々と人が死んでいきます。そのどさくさにまぎれてガリオン一行はザーカスのもとを抜け出し、ザンドラマスの後を追うのですが、途中から悪魔を操るカランダ族の王が勢力を伸ばしているという地域にやってきます。 この巻では、いわゆる「悪者」がいろいろ出てきて、誰がいったいどういう目的でどんな行動をしているのかをフォローするのにちょっと努力がいりました。本の終わりのほうに来ると、また少しすっきりしてくるようにも思われるのですが、あと少しで最終目的であるガリオンとザンドラマスとの出会いがあるように書かれているのですが、考えてみたら、このシリーズあと2冊あるってことは、この出会いは最終巻までないってことなんじゃないかという気もしてきました。 この巻で活き活きとしているのは、若き女スパイのリセルとベルディンおじさんでした。ベルディンおじさんは、最初それとはわからない登場のしかたをするのですが、これまでこのシリーズを読んできているなら、途中でその正体がなんとなくそうではないか、とわかってきます。皇帝ザーカスも、ガリオンの引き止めることで旅の邪魔をしてはいるのですが、憎めない人物として描かれています。最初のシリーズで輝いていたセ・ネドラは息子をさらわれてからはほとんど抜け殻みたいになってしまって、当然だと言えば当然なんですが、ちょっと寂しい気もします。 あらすじ: ザンドラマスに息子をさらわれてしまったガリオンとセ・ネドラは、ポルガラやベルガラスなどと共にザンドラマスを追って南へと旅をします。途中蛇女王サルミスラの支配するニシアで宦官サディを加え、とうとうかつての敵国マーゴスにやってきます。マーゴス王の虜となってしまう一行は、王とシルクの意外な関係を発見します。そして、王と共にさらに南を目指すのですが、途中マーゴス王と別れ、一行は今度はマロリオンの王・ザーカスの虜となります。 ベルガリオン物語と似たような話の進行なのですが、もともと新たに見つかった予言は、前回の予言と同じような出来事を辿って終焉に向かうとされているので、同じような登場人物同じような出来事が出てくるのは当然と言えば当然です。もう、ここまで来ると、登場人物の発言やら性格描写なんかを楽しむようになってしまいますからね。 相変わらずポルガラ対ベルガラスの毒舌(?)合戦は盛んですが、新たに加わるサーディとリセルのやり取りもおかしかったりします。話の進み具合よりも登場人物の絡み合いのほうが楽しい本でした。 あらすじ: ベルガリアードシリーズに続くマロリオンシリーズ第一作です。悪神トーラックを倒しセ・ネドラと結婚したリヴァ王ガリオンはまた西方諸国の上王としても忙しい毎日を送っていました。ようやく世界に平和が戻ってきたと思っていた矢先に実は今まで知られていた予言とは別の予言が存在していたことが明らかになり、その新たな予言の通りにガリオンとセ・ネドラの息子・ゲランが何者かにさらわれてしまいます。アルダーの珠はガリオンとエランドに「ザンドラマスに気をつけよ」と警告を発するのですが、そのザンドラマスとは何か。ガリオン・ベルガラス・ポルガラの新たな試練が始まります。 ハリー・ポッターシリーズと同じで、一度この世界にのめりこんでしまうと、もうやめられません。この本は続編シリーズの第一冊とあって、先のシリーズの主要登場人物のその後などから話が始まるのですが、こういうのはシリーズ・ファンとしての楽しみの一つです。ちょっぴり大人になったガリオンとセ・ネドラのあいかわらずの痴話げんかがまた楽しいのでした。 前シリーズと大きく違うところは、謎の少年エランドが言葉を話すようになり、不思議な力を持っていることが明らかになったことです。この少年が前のシリーズとは違った活躍をすることは必須ですが、この数奇な運命の少年が「家族」を得て安らぐ冒頭の場面は、目頭が熱くなったりするのでした。また、あれだけの力を持ちながらも「普通の主婦」をやってみたがるポルガラにも微笑ましいものがありました。 Wolf Brother あらすじ: 6000年前の狩猟採集時代のヨーロッパを舞台にした12歳の主人公トーラックの冒険物語です。悪魔の乗り移った熊に襲われトーラックの父親が殺されます。物心ついてからずっと父親と二人だけで森で生活してきたトールアックに、父親が死ぬ間際に言い残したことは、「世界の精霊がすむ山に行け。」でした。その山がどこにあるのか、山で何をしたらいいのか、全くわからぬままトーラックの旅が始まります。孤児となったオオカミの仔と出会い、さらに大ガラス族の少女「レン」と出会い、二人と一匹の苦しいたびが始まります。 作者は文化人類学や考古学に興味があって、古今東西(イヌイットやアイヌも含めて)の狩猟採集民族のことを学びながらこの物語を書いたそうです。それだけに、森での狩りや生活の様子がよく伝わってきていると思います。物語自体はかなり速いペースで進み、所々「どうしてこうなるの?」がよくわからないまま次に進んでしまうのですが、この本は6冊あるシリーズの第一作だということなので、続編を読むと、よくわからなかったところもおいおいわかってくるのかもしれません。 いくつかの章はオオカミの視点で書かれていてそこに出てくる名詞などがピジン英語の単語のようでおもしろいです。太陽のことをBright Eyeと言ってみたり、トーラックのことをTall Taillessと呼んでみたりしているのを読むと、少しオオカミの世界観に近づいたようなきがしてくるから不思議です。 Gifts あらすじ: ゲド戦記で有名なル・グインの最新作です。先祖代々父から息子へ、母から娘へと受け継がれてきた「授かり物」とは、それぞれの一族に伝わる特殊能力です。「授かり物」は部族によって異なりますが、カスプロ一族の末裔であるオレックは父親の「非創造」する力を受け継いでいるはずなのに、なかなか力が現れる年齢になってもその兆候が見られません。ところがある日、自分にその意志がなくともオレックの「非創造」の力が働き、へびを八つ裂きにし、土地を枯渇させ、役立たずの犬を黒こげにしてひまったのでした。制御できない「授かり物」ほど恐ろしいものはない、ということで、オレックは力の根源となる目に目隠しをして生活することになります。目隠しをしたままの不自由な生活から、やがて最愛の母を亡くし、母が息をひきとる間際まで目隠しをしたまま母を見ようとしなかったことへのはげしい後悔を経てオレックの中で何かが変り始めます。 子供の「親の期待に応えたい」という思いを絞ってエキスにしたらこの物語ができあがるのかもしれません。この本を途中で投げ出したくなってしまったのは、このまりにも従順なオレックに腹が立つのを通り越して呆れてしまったからかもしれません。 しかし、彼はやがて気が着くのです。親の期待に応えることのできない自分に。気が着いてから物語はさっと流れてうまく終わったと思います。多くを語らず、含みのある文章は、やがてその中に何が潜んでいたのかを考えさせてくれます。もしかしたら、この本への評価は1年後には高くなっているかもしれません。 「イティハーサ」 あらすじ: 13年かけて描いたという漫画の大作です。古代日本を舞台に目に見えない神々を信奉する一族が、目に見える神々、「亜神」と「威神」の戦いに巻き込まれ、鷹野、透祜、青比古を残して全滅します。残された3人は亜神を信じる一族と友に旅をし、子供だった鷹野も透祜も成長します。しかし、ある日、仙人から捨て子だった透祜が実は双子の一人で、双子のもう一人・夭祜は威神を信じる一族と行動を共にしていることを知らされます。透祜と夭祜が出会うとき、それはどちらかが死ぬときだとも言われます。間もなく夭祜の一族が透祜たちを襲います。そして鷹野と青比古もまたそれぞれの運命と向かい合う時がやってきます。 壮大な物語です。神とは何か、善とは、悪とは、そういったことを登場人物たちの人間的な愛憎と平行して淡々と描いています。萩尾望都、光瀬龍コンビの「百億の昼 千億の夜」も壮大でしたが、イティハーサは、終わりに未来への力強い希望があるのが、諸行無常と静かに幕を閉じた「百億…」とは対照的です。イティハーサは竹宮恵子の「イズァローン伝説」に近いのかもしれません。 物語全体のテーマも好きなテーマですが、そこここに散りばめられた台詞がまた泣けます。一見つまらない人物がとても大切なことを行ったりするのも、どきっとさせられます。死んでいく脇役の死に際の台詞が特に涙を誘い、自分が死にゆくときもあのように潔くしかしいとおしく死んでゆくことができればいいなぁ、と思ったりしたのでした。 「魔性の子」 あらすじ: 母校に教生としてやってきた広瀬は、他の生徒から奇妙に浮いている高里という生徒が気になります。「高里をいじめると祟る」と恐れられているその生徒の周りで次々と事故が起き、ついには死者まで出てしまいます。それでも、広瀬に、高里が悪意をもって祟っているのではないと、かばいます。そんな中やがて広瀬までが事故に遭うことになります。 十二国記の番外編とも言うべき作品ですが、この本だけ先に読んでいたら、かなりホラーな作品かもしれません。 十二国記の「風の海 迷宮の岸」を先に読んでいると、高里が誰なのか、またどうしてこういった怪奇現象が高里の周りで起きるのかがわかっているので、むしろおもしろいし、一風変った裏話というように読めます。 この本だけに限って言うと、広瀬という語り手がおもしろいです。彼は過去に一度死に掛けたことで、異世界を覗き見ているのですが、その彼が自分よりもさらに世間から離脱している高里を理解しようともがく、しかし、結局は自分のエゴと向かい合うことになるといったあたりが、なかなかうがってあっておもしろいと思いました。 To Kill a Mockingbird あらすじ: アメリカ南部の小さな町に住む弁護士アティカスの子供たち、スカウトとジェムはいくつかの夏を北から来たディルと共に過ごし、様々な冒険をします。一番年下のスカウトから見た近所の人たちや町の様子から次第に南部の雰囲気が作り上げられていきます。そうして、ある夏、父親のアティカスが、白人女性を強姦した罪に問われている黒人の弁護にあたることになり、スカウトとジェムの世界は急速に大人たちのそれに脅かされていきます。 子供の目を通した語りなので、ほんの狭い世界からだんだんと周りが見えてくるような展開になっています。それがアメリカ南部のことを何も知らない私のような読者には物語に入りやすいようになっていると思います。大雑把に3部に分けられるお話で、最初は子供たちの住んでいる通りが主な舞台で、全く外に出てこない幻の隣人「ブー」をいかに目撃するかという他愛もない遊びを繰り返す子供たちがいます。しかし、ここで、舞台となる町の住人たちの世界観のようなものが所々に現れ、後の話に繋がっていきます。真ん中の部分はアティカスが被告の弁護人となる裁判が中心で、ここでは、くっきりと白人と黒人の差を見せ付けられます。狭間に立つ少数の人間は苦悩し、子供たちは少しずつ人種差別の現実と直面せざるを得なくなります。最後の部分は裁判の後の話で、全てが元に戻ったかのように見えたところから話が急展開します。正直なところ、裁判が終わった時点で、少し興味をなくしかけていたのですが、この最後の部分は強烈でした。 無実の黒人を白人が罪人呼ばわりしたために投獄する、というのは、よくある話のように思いますし、実際本のト書きを読んだ時点では、そういうものだろう、と思っていたのですが、これは人種差別のお話というよりは、社会に適応するということはどういうことか、ということを問うている話なのだと思います。謎の隣人「ブー」にしても、黒人と一緒に暮らすおじさんにしても、子供たちにとっては、町の噂でしか知らない人たちでした。それが実際に会って見ると、普通の人、いや、むしろ殆どの町の人たちより「まとも」にすら思えるのでした。社会の規律にすんなりと従えない、従いたくない人たちがそこここにたくさんいる。そういう人たちは、世間から「変人」と思われ、変人になった理由などが憶測されるのですが、何をもって「変人」とするのか、無実の黒人に有罪判決を言い渡すことこそおかしいのではないか。それでも、アティカスを初め、大半の大人たちはそういった疑問を表に出さず社会の一員として機能しています。そして「変人」と思われている人たちも、「変人」を装うことで彼等なりにまた社会に適応しているのでした。 The Other Wind あらすじ: ゲド戦記第5巻。かつては魔法使いたちの頂点に立っていたゲドですが、今は魔力を失って故郷でひっそりと暮らしています。そのゲドの元に悪夢にうなされる魔法使いアルダーがやってきます。永遠の魂を得て死者の町に住む者たちが、生者との境の塀を越えたがって毎夜アルダーに助けを求めに来るというのです。ゲドは、アルダーを王宮のあるハヴノアへと向かわせます。なぜならそこには、ゲドと共にかつて死者の町を訪ねたことのある若き王・レバネンがいたし、ゲドの妻子テナーとテハヌもそこを訪ねていたからです。アルダーの夢は、この世界の秩序が大きく変わろうとしているその前触れでした。西の果てにしか出没していなかった竜が、首都近くの島々にまで出没するようになったのも、それと関係があるようでした。折りしも、東の野蛮国からやってきた王女は、たどたどしい言葉で王に告げます。「永遠の魂とは、死者は再生するという自然の理に逆らって西の魔法使い達が築きあげた不自然なものだ。永遠の魂などがあれば、人間は再生ができないではないか。」そして、アルダーの悪夢の意味するところは何なのか。王の率いる一団は、世界の力の中心であるローク島の森にその鍵があるとして、赴くのですが…。 ゲド戦記の第5巻が出版されたと聞いたのは、しばらく前のことでしたが、なかなか読み出せずにいました。ようやく思い腰をあげたわけですが、4日で一気に読みました。もっと早く読めばよかった、と思うくらい久しぶりのゲドのアースシーの世界は爽やかでした。ゲドやテナーの成熟した大人の感覚。若く美しい王。王として立派に務めを果たしているレバネンは、しかし、野蛮国から「贈られた」王女に戸惑うのでした。この理想的な王であるレバネンの戸惑いを半ば楽しむテナーがいいなぁ、と思いました。これって「おばさん」の感覚ですよね。若い男の子の美しさを横から楽しく眺めているの図。 レバネンを中心とした話もいいのですが、王や賢者ではない、一見「普通の」人であるアルダーや、「田舎物」の王女などのほうが世界の真実とより深くかかわっているという底に流れるテーマも、小市民である自分にとっては嬉しいことだったりします。でも、この本で感動したのは、簡潔ではあるけれど、情景描写の美しい文章でした。老いてますます研ぎ澄まされてきたようなル・グイン女史はすばらしいと思います。 あらすじ: ベルガリアードシリーズ第5作にして最終巻。悪神トーラックとの一騎打ちに向かうガリオンは、敵地に入ってますます慎重に行動します。一方、ガリオンから敵の目を逸らせようと軍隊を立ち上げた婚約者セ・ネドラは、敵地への奇襲をかけます。成功したかに見えた奇襲軍に新たな敵が現れ、多くの犠牲が払われ、セ・ネドラ、ポルガラ一行は悪神トーラックの元へと連れて行かれます。いよいよ予言された光の子・ガリオンと闇の子・トーラックとの一騎打ちがやってきます。 ガリオンとセ・ネドラの他にもいくつかの愛が語られる巻ですが、やはり、圧巻はポルガラの愛でした。何千年も生きてきた魔法使いであるポルガラが、その力と引き換えにしても一人の男と一緒にいたいと言うくだりは、涙が出ます。 ポルガラの父で伝説的な魔法使いであるベルガラスもまた、はるか昔に死んでしまった妻を所々で思い出します。悪神トーラックもまたポルガラに拒絶されたことによって力を失います。結局自分を愛してくれる人と一緒にいることが何よりも大切というところでしょうか。トールキンの指輪物語でも、アルウェンはアラゴルンのために永遠の命を返上するのですものね。 Howl's Moving Caslte あらすじ: 荒地の魔女がある日ソフィーのところへやってきて呪いをかけ、ソフィーを90歳のおばあさんにしてしまいます。仕方なく家を出て行き場所を探すソフィーは、街で恐がられている魔法使いハウルの動く城に転がり込みます。そこで火の悪魔カルシファーとハウルが結んだ契約を解くようにカルシファーに頼まれ、そのまま城に居つくことになります。間もなく女たらしのハウルが標的にしているのが妹のレティーであることを知り、何とかしなくてはいけないとあせるソフィー。ハウルの弟子のマイケルは、これまたソフィーの末の妹マーサと付き合っているし、おばあさんになってしまったソフィーは、とにかく妹たちが不幸にならないようにとがんばるのですが、荒地の魔女はハウルにまで呪いをかけていたのでした。その呪いがとうとうハウルを追い詰め、荒地の魔女とハウルの本格的な対決がやってきます。 これはジブリが映画化したお話ですが、映画の話は原作と違う!というのが第一印象です。だいたい、あんなふうに変えてしまったものを「原作」と呼べるのかどうか…。「未来少年コナン」と「残された人々」だってこんなには違わなかったように思うのですが。この原作から「ハウルの動く城」というアニメを作ったその過程がとっても知りたくなりました。 映画は摩訶不思議で素敵だと思いましたが、原作は原作でおもしろいと思います。ジョン・ダンの詩"Song"が荒地の魔女からの呪いであり、その詩の語るところが次々と実現していくあたりはすごいというか、おもしろいというか。ジョン・ダンの詩を読んでみようかな、と思わせるところがすごいです。ハウルがウェールズにお姉さんやら甥っ子姪っ子を訪ねて行って、一緒に行ったソフィーやマイケルから見た「あちらの世界」の描写もおもしろかったです。荒地の魔女は、正統派悪役だし、その彼女の使っていた火の悪魔はもっとすごい。摩訶不思議な世界ではありましたが、魔法のとけたソフィーが幸せになるというあたりは、ごくごく普通のおとぎ話でした。 あらすじ: ホグワーツ魔法学校3年生のハリー・ポッターに再び危険が迫ります。今回の敵は魔法刑務所・アズカバンからの脱走囚・シリウス・ブラックです。ハリーに近づこうとするだろうブラックを捕らえるために学校には刑務所からデメンターが派遣されます。デメンターは人の楽しい記憶を吸い取ってしまう化け物でした。これまでの人生に楽しい思い出のあまりないハリーがデメンターに遭遇すると、気絶してしまうくらいひどく打ちのめされてしまうのでした。仇敵マルフォイはこれを利用してハリーを落としいれようとするし、親友のロンとハマイオニーは、それぞれのペットのいがみ合いから仲たがいをしてしまうし、3年目の学校生活もまたまた波乱万丈なのでした。 この本を読むのは2度目で、前回は通勤バスの中夢中で読んだのですが、今回は毎晩少しずつ次女と三女に読み聞かせました。1度目と2度目の間に映画化され、映画のほうは映画館で2回も観たし、DVDで何度も観たので、自分でもかなりのファンだと思います。今回の読み聞かせは、声に出して読むということと、毎晩細切れに読んだということで、もう少し細かいところも見えてきたと思うし、映画との違いもいろいろ考えながら読めてよかったな、と思います。 今回のテーマの一つに「冤罪」というのがありますが、これは、この本が対象にしているだろう子供たちにとってはなかなか難しいだろうな、と思うと同時に、こういうことをテーマにしようというローリング女史もなかなか思いきったことをするな、と思いました。読み聞かせた子供たちは、今のところ出来事を追っていくだけで精一杯のようですが、いつかまたこの本を自分で読み返して、この本に含まれたいろいろなメッセージを拾っていって欲しいと思います。 あらすじ: ベルガリアードシリーズ第4作。珠を取り戻したガリオン一行は、追っ手をかわして何とかアルガリアまでたどり着きます。珠を取り戻して自分の役は終わりだ、と思っていたガリオンでしたが、実はガリオンの役目はこれからが肝心。リヴァの玉座に珠を返還する時点でガリオンが永く空位となっていたリヴァの王であることが判明します。しかも、喧嘩ばかりしていたセ・ネドラとの結婚が決められていたことも明らかになります。運命に抵抗しようともがくセ・ネドラですが、悪神トーラックとの一騎打ちも運命によって決められていることを知ったガリオンは、大勢の人の無益な死を望まず密かにベルガラスとシルクと3人だけでトーラックの眠るところに向けて旅立ちます。さよならも言わずに行ってしまったガリオンを心配したセ・ネドラは敵の目をごまかすために大軍を組織して敵地へ乗り込む準備をするのでした。 ガリオンかっこいいです。ようやくセ・ネドラも少し成長してガリオンを助けようという気になっているし、最終巻でこの二人が再会してしあわせな家庭を作るというところで終わるんじゃないか、そうわかっていても、続きが気になるのでした。 これを読みながら、ナルニアの「ライオンと魔女」に出てくるピーターとガリオンを比較してしまいました。年末に映画を見たからでしょうけれど、ピーターもガリオンも予言された「王」であり、その王が世界を救ってくれるという伝説・予言のある存在です。そうしてそういう責任に懸命に応えていこうとするところがけなげでたくましく、「王」などというたいそうな存在ではなくとも、少年から青年になる成長過程につきまとう普遍的なテーマだから人気があるのだろうな、と思ってしまいます。ほんとうにまだ子供のような少年だったのが、物語の終わりには一人前の「王」として認められる。いや、かっこよくないわけがないですよね。現実世界では、責任を果たす場もなければ、認めてくれる人たちもいないだろう多くの少年たちの夢なのかもしれません。 「黄昏の岸 暁の天 (下)」 あらすじ: 十二国記最新巻(といっても2001年発行ですが)で、これ以降はまだ出版されていません。戴国の危機を救うべく立ち上がりたい慶国の王・陽子ですが、天命はそれを許さない。せめて行方不明になっている麒麟を探すことが十二国の協力でできないだろうか、と模索する陽子にいくつかの国の王と麒麟が協力してくれます。自らの起こした蝕によってもといた日本に戻ってしまった泰麒は自分が戴国の麒麟であったことや、王が行方不明で国が荒れていることなどは全て忘れてしまっていたのでした。王になってまだ日の浅い陽子が自分の国の問題も山積しているのに、他国まで救おうとすることで思わぬところで新たな問題も出てくるのでした。 シリーズをここで止めたまま次が出版されていない、というのは、かなりファンにとってはつらいのじゃないかな~、と思います。私はここ数ヶ月の間にシリーズの最初からここまで一気に全部読んでしまったのですが、出版と同時に読んできたファンは大変ですよね。 新参の王ながら他国と協力して戴を救おうとする陽子のある意味でルール違反にも見える行為が、海千山千の延王・尚隆をいらだたせるところなどがおかしかったりします。一国に絞って話が進んできたシリーズ最初のほうに比べて、これまでの登場人物をちりばめながら進んでゆく話は、ずっと読んできたファンにとっては、十二国記の世界に浸れるうれしい巻だと思います。それにしても、これから戴国はどうなるのでしょう。 「黄昏の岸 暁の天 (上)」 あらすじ: 王も麒麟も行方不明のまま偽王によって国が荒れてゆくのを見るに耐えかねず、慶国の王・陽子に援軍を求めて会いに行く李斎。李斎の頭の中には戴を救うことしかなかったのですが、陽子に会って、まだ慶国も安定していないのに、陽子に援軍を出して欲しいとはとても言えませんでした。かと言ってどうすれば、戴が救われるのか、出口のない悪夢に李斎は苦しみます。 戴国の国民として、王に仕える高官として李斎は正しいことをしているのですが、もっと大きな視点から見て、慶国を巻き込むことは正しいこととは言えません。こういうジレンマはどんなレベルの問題にでもつきまとうことだと思います。 十二国記を読んでいて、ある意味救われるのは、難しい問題を一人で考えるのではなく、周りのいろいろな人が知恵を出し合って解決しようとしていく姿勢だろうと思います。「風の万里 黎明の空」に登場したあまたの登場人物たちのその後を窺い知ることができるという意味でも、おもしろい巻です。 「風の万里 黎明の空 (下)」 あらすじ: 景王であることを隠して里で生活していた陽子は、多くの民がまだまだ苦しんでいること、それに対して王として何もできない自分にもどかしさを感じています。恭国に預けられた祥瓊は、あろうことか王の物を盗んで景王に会うために慶国を目指します。様々な苦難を得て、ようやく自分の無知・幼さに気が着くのですが、さらに途中偶然、陽子の友達である楽俊に会い、陽子に対する考えを改めます。一方鈴は、慶国に向かう途中の船で知り合った幼い友と触れ合ううちに自分の無知さ・幼さを思い知ります。そして、初めて自分以外の人のために何かをしたいと思った矢先、その友の命が無情な慶の官吏によって奪われ、仇討ちを誓うのでした。それぞれの思惑の中、祥瓊と鈴は慶国で反乱に加わることになります。そして、王でありながら無力な陽子もまたその反乱軍に加わるのでした。 これまでの十二国記に比べて、ちょっと話の終わり方がはしょってあるような気もしないでもありません。反乱軍が反乱のために武器調達するあたりから、新しい人物が次々に登場して、誰が誰だかわからなくなってしまっているからかもしれません。 これまでの十二国記にはなかった、かわいそうな子供が二人死んでしまうというエピソードがあります。不幸な星のもとに生まれ、不幸なまま殺されてしまう。物語自体はハッピー・エンドですが、暗い部分が残されているということが現実味があっていいのかもしれません。 「風の万里 黎明の空 (上)」 あらすじ: 「十二国記」シリーズの最初の物語であった「月の影 影の海」の主人公・陽子が景王になって間もなくの話ですが、陽子だけではなく、陽子と同じ年頃のあと二人の少女たちも追っていく話です。少女と言っても、あとの二人は仙人なので、陽子と同じ年頃に年を取るのをやめた、というほうが正解なのですが、心理的にも16、7歳のまま、というところがおかしかったりします。景王として国をまとめていくことに様々な悩みをもつ陽子は、里に下りて一少女として国の現実を学ぼうとします。それと時を同じくして、芳国の公主(王の娘)だった祥瓊(しょうけい)は、父母を革命によって目の前で殺され、孤児院のような里家にあずけられますが、王に虐げられ王を憎んでいた里人たちに知られ、あやうく私刑で殺されるところになります。そこからからくも救われた祥瓊は、恭国に預けられますが、まだ若い陽子が景王になったと聞き、自分の失った全てのものを手に入れた陽子を憎むようになります。それとまた時を同じくして、昔親に捨てられた直後海客として日本から才国に流れ着いた鈴(すず)は、仙人のもとで虐げられて奉公していましたが、これもまた陽子が景王になったと聞き、同じ海客のよしみで自分を助けてくれるのじゃないか、と奉公先を逃げ出します。 陽子は、既に「月の影 影の海」でかなり悟って大人になっているのですが、後の二人それぞれにかなり幼い部分があり、自分勝手です。その身勝手さは、冷静に読むととんでもない身勝手なのですが、あまりにも自分に似通ったところがあるので、冷静には読めなかったりします。 祥瓊は自分が公主として贅沢をしていたことを当たり前だと思っていたし、それに伴う責任なんかは全然考えていなかった。鈴は100年近くも虐げられて、「悲劇のヒロイン」を演じていた。どちらも自分を省みさせる恐いキャラクターです。十二国記シリーズの一番恐いところは、読んでいる自分の弱さをいつも見せ付けられているような気になるところです。 「華胥(かしょ)の幽夢(ゆめ)」 あらすじ: 「十二国記」シリーズの短編集。収録されている話は、どれも、他のお話と関係があります。「冬栄(とうえい)」は「風の海 迷宮の岸」と「黄昏の岸 暁の天」の合間の戴国の話。「乗月(じょうげつ)」は「風の万里 黎明の空」の後の芳国の話。「書簡(しょかん)」は「月の影 影の海」の陽子と楽俊のその後の話。「華胥(かしょ)」はこの短編集の題の一部ともなっていますが、これが一番独立した物語で、少しだけ「風の万里 黎明の空」に出てくる才国の以前のお話です。最後の「帰山(きざん)」は、十二国中最も治世の長い奏国の太子・利広と次に治世の長い延国の王・尚隆が柳国で出会う短い話ですが、二人とも別の物語にいろいろ出てきます。 実は、この短編集が出版される前に出版された十二国記の本を全部読まずにこの短編集に手をつけてしまいました。したがって、ネタバレを先に読んでしまった形になった話もあったのですが、そういうこととは関係なくおもしろかったです。 現実社会でも、大きなニュースの報道の後で、しばらくたってから「あの事件はその後どうなったのだろう。」と思うことがありますが、この短編集は、まさにそういう疑問に答えてくれるような本です。十二国記を読んで「あの国は、あの人はその後?」と思うようならば、この本を読んで楽しめるはずです。 |