翌日の様子避難先の友人宅で不安な一夜を過ごした後、朝食もそこそこに家に戻った我々は、前日の悪夢が悪夢ではなかったことを思い知らされることになる。我が家は、焼け残っていたし、幸い、同じ通りの住民で家が全焼したケースはなかった。しかし、明るい日差しの中で、焼けた裏山や周りの通りで全焼した家々が異様な黒い姿を見せている。
隣まで来た山火事朝起きてラジオをつけてみるが、依然としてDuffyのことばかりで、我が家のあたりがどうなっているのか情報が入ってこない。隣近所にあちこち電話をかけるがつながらない。ようやく右隣の住人の携帯につながる。その人が我が家は燃えなかったと教えてくれた。兎に角この目で見るまではとても信じられない、と帰途に着く。道路封鎖はすでに解除されていたが、朝日に浮かび上がった焼け野原は、焼けているときにも増して壮絶だった。
隣の家の木製のポーチに火がついていたら、我が家も燃えていただろうと思う。隣家の庭は燃えやすいオーストラリア産の木々がかなり植わっているし、そのうちの一本は我が家の軒先にまで伸びているのだ。
焼けた山々昨夜の興奮さめやらず、近所中が集まっては、火事の様子やら、燃えた家のことなどを話している最中に、めきめきめきっと音がして、続いてどどーんとオオモノが倒れる音がする。裏山の道路から20メートルほど登ったところにあるユーカリの大木は、昨日から燃え続けていたのだが、とうとう幹の下のほうが自分の重みに耐え兼ねて倒れたその音だった。倒れた木の周りには、真っ白な灰が雪のように積もっていた。
夜、真っ暗になってから裏山のあちこちで炭火のように燃え続ける木の幹が浮かびあがって見える。これは、トールキンの「指輪物語」に出てくるイセンガルドやモルドルそのものというくらい不気味な光景だった。 電気が使えない夕方になっても、まだ電気は使えない。この地域にある電柱がいくつも損傷してしまったそうだ。ラジオでは、今日中にキャンべラの95%の家で電気が使えるようになる、と言っているが、残り5%がどこなのか、自分達がこの95%に入っているのか全く情報が入らない。これまで、停電なんてものは、せいぜい2、3時間しか経験したことがなかったので、夜ずっと灯りがないということは初めてだった。子供たちはいつも廊下の豆電球がないと寝られないので、夜になる前に友人宅でキャンプ用のランプの充電をさせてもらう。この時点で、停電が1週間以上続くとは、予想もしていなかった。 |