その後一週間

山火事から一週間は、電気が使えなかったのと、更なる山火事の危険性があったのとで、ろくに眠れない日々が続いた。仕事も休み、近所と協力して後片付けや、燃えやすいものの撤去、伸びすぎた木の枝の除去などに専念した。

続く停電

当初停電した家は、キャンべラの住宅の30%にも上り、一部では、ガスも水道も使えない状態となった。幸い、我が家は止まったのは電気だけだったが、停電が一週間も続くと、さすがに不快指数100%、最終日には「いいかげんにしてくれっ!」と叫んでしまった。というのも、いつになったら、電気が使えるようになるのか全く情報が入って来なかったからだった。山火事から3日後には、ラジオで「99%の住宅では電気が使えるようになった。」と発表されたものの、どの地域がまだ停電しているのか、復旧のめどは立っているのかという情報が全くない。我が家は、最も被害の大きかった1%に含まれていたわけだ。

停電も1日以上続くと思わぬ被害があるもので、満杯だった冷蔵庫・冷凍庫の食料は全部捨てる羽目になったし、ほとんどの家で電話が使えなくなった。最近の電話は、コードレスが多く、電源が入っていないと、使い物にならない。いち早く携帯に転送するサービスが始まったが、肝心の携帯の充電ができないときている。我が家は、旧式の電話をとっておいたので、かろうじて電話だけは使えた。この停電が続いている間、隣家は、ダンナの会社の費用でホテル生活。(親会社がアメリカの会社で気前がいい。)昼間だけ戻ってきて後片付けをしていた。斜め裏の家は、発電機を持ち込んで、冷蔵庫と照明を確保していた。我が家はといえば、ほぼ毎日友人宅を渡り歩いて、洗濯・シャワー・夕食・懐中電灯の充電をさせてもらった。友人達の助けは本当に有り難かったが、自分の家でまともに生活できないというのは、つらい。

停電で一番大変(?)だったのは、暗闇を怖がる子供たちをなだめすかして寝かせつけることで、通常ならば、ろうかの電気をつけたまま寝るのだが、停電中はそうもいかず、キャンプに持っていく充電式ランプをろうかの真ん中に置いて寝た。それでも、2つの寝室に別れて寝る子供たちが電気から遠いと泣くしまつで、これには、ほとほと参った。さらに、熱帯夜が続くなか、扇風機が使えないとあって、大人も子供もなかなか寝られないのだった。

安否の確認

火事から連日何回も安否の確認の電話が入る。年末に久方ぶりの再会を果たしたメルボルンの友人達が何人も電話をくれたし、同じキャンべラでも、北のほうの地域に住む人達から、食事に来ないか、何か手伝えることはないかと電話をもらった。比較的近くに住む友人達は、暑いのに冷蔵庫も使えないだろうと、クーラーや氷を持って見舞いに来てくれた。人の親切が身にしみた。

そんな中、見舞いに来てくれた長女のクラスメートの親から、別のクラスメートの情報などが入る。長女の仲のいい友達の一人は、家が全焼しておばあちゃんの家に住んでいるという。長女の大の親友のことを聞いてみたが、わからないと言われた。何度も電話をするが、通じない。とうとう4日目に車ででかけてみた。近くに行くにつれ全焼の家が立ち並び、「ああ、こんなんじゃ、あの子の家も焼けたに違いない」と思っていたところ、その子の家と隣の家だけが焼け野原の中にぽつんと立っていた。玄関先では、お父さんが掃き掃除をしているところで、家族は、田舎のおばさんのところに避難しているという。裏庭を見せてもらったが、あたり一面焼け野原で、この家も裏の窓が割れてカーテンに火がつくところまでいったそうだ。話してくれたお父さんの指先が震えていた。

さらなる火事の心配

我々がファイアー・ボールに襲われた後も、山火事の脅威は終わっておらず、3日後には、気温がまた35度を越え、燃え続ける国立公園の火事が今度は北のほうの地域を脅かすことになる。この日は週日だったので、北の地域の住民は、皆半日で仕事を切り上げ、万一に備えていた。幸い土曜日の経験から、政府も住民もかなり準備ができていて、大事にはいたらなかった。

暑さと乾燥で、またここにも山火事がやってくるのではないかという不安がぬぐい切れない。時折巡回する消防の車がなければ、もっと不安だったことだろう。もうこの前のように燃える木も残っていないのだが、家と塀が燃料になるではないか、と思うと不安だ。

煙と灰とほこり

火事の後は、何度掃除をしても、すぐまた灰が積もって黒っぽくなってしまう。家の中もすすだらけで、足の裏も、あっという間に真っ黒だ。雨の降らない日が続いたので、ほこりも多い。焼けた家の中には、建材にアスベストを使用していた家もあり、政府の役人が来てアスベストの濃度などをチェックしていったそうだ。こういった情報も、又聞きでしか入ってこないことに苛立ちを感じる。

国立公園内で燃え続ける木々や、バック・バーニングと呼ばれるコントロールされた焼き払い作業による煙で、盆地にある我が家のあたには、かなりの量の煙が立ち込め、どこにいても少し息苦しい。髪も服も煙臭くなってやってられない。

やりきれないのは、このバック・バーニングが北のほうのまだ山火事にやられていない地域に被害が拡大しないためのものだというのに、そこから出る煙は、風の具合で全て山火事にやられた我々の地域に流れてきてしまったことだ。